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piled timber

紀-4

 彼女が実家へ帰った後で、僕たちの文通は再び始まった。僕が求愛の手紙を書く度に、彼女からは、自分の近況を伝える手紙が主だった。そして、何時しか彼女の手紙には、一人の男が出てくるようになっていた。
 彼女が、大阪へ専門学校に入りに行く事が決定した頃には手紙は滞りがちになり、復活したはずの手紙のやりとりも止まってしまった。

 僕はその間、いく人の女と夜を過ごし、身体の上を通り抜けていった。仕事と言えば、相も変わらずバブル踊って世の中が狂い始めていた。その中を夜の蛾が舞い、僕らは甘い汁に群がるネズミのようだったに違いは無い。

 その電話は、もうすぐ開店という時にかかってきた。
「ありがとうございます、サンフェニックスです」
「あの、北さんはいますか」
「北は私ですが」
「あ、あき、私解る」
 聞き覚えのある声が聞こえていた。
「ああ、解るよ。今何処に居るんだ」
「西武新宿の改札の前」
「判った。今すぐ行くから」
 僕は、そう答えると他の黒服に出てくると言い残して店を飛び出した。
 
 彼女は言った通り、改札の前に立っていた。手荷物を一つ持っただけで、二年前と何も変わっていないように見えた。
「よお、元気だったか」
「うん。あきは」
「俺は見ての通りさ」
「何かこっちに用があったの」
「プロレスを見に来たんだ」
「ふーん、今日泊まるところは決めているの」
「まだだけど」
「俺のとこ泊まる」
「うん」
 僕は、深夜営業の時間まで彼女に時間つぶしを頼んだ。それは、早い時間は店に連れて行く事は出来ないけれど、深夜営業の店にならば連れて行くことに問題は無かったからだ。
 僕は彼女と待ち合わせの店と時間を決め、大急ぎで店に戻った。

 待ち合わせの店の扉を開くと、彼女はカウンターで待っていた。僕の行きつけのバーで彼女はジンジャエールを飲みながら待っていた。僕の顔を見て微笑む彼女を連れて深夜営業の店へと向かった。
 さすがに、その日ばかりは僕は従業員である事を完全に放棄していた。まあ時々は従業員をしてはいたが彼女のところにばかり座っていた。カラオケが鳴り響く店内で、僕はこの二年の彼女に起こった出来事を聞いていた。
「駅って言う竹内まりやの歌知ってる」
「うん聞いた事あるけど」
「私、初めて聞いたとき泣いちゃった」
 ちょっぴり恥ずかしそうに言う彼女の言葉に、僕の頭の中でそのフレーズが廻っていた。そして胸が熱くなるのを感じた。
「でね、一生懸命覚えて、歌ったんだけど泣いちゃうんだ」
「だけどね、カラオケがあると駅って必ず入れちゃうんだ」
「じゃあ歌うか」
 僕はそう言うと、駅を選曲した。彼女は照れた様子を最初は見せたのだが、曲が流れると歌い始めた。そして目頭を熱くしていた。見ている僕もやるせない気持ちになっていた。

 部屋へと戻る途中、僕らはコンビニへと寄った。
「イヨカンはさすがにこの季節じゃ無いな」
「夏みかんならあるけど、夏みかんじゃね」
 出会った頃、僕と彼女がベッドを共にするときはイヨカンが枕元にあった。それは翌朝目覚めた時、僕が彼女の隣でイヨカンの皮を剥き、寝ている彼女に食べさせる為だった。寝起きの悪い彼女も、僕が剥いたイヨカンは良く食べていたものだった。しかし無いものはしょうがない、僕らは連れだって汚いけれど思いでのある部屋へ行った。
 この前彼女がこの部屋を訪れたのは二年前の、僕が交通事故を起こした後の退院直後だった。そして、今日また訪れて来ている。たとえは悪いが七夕のようなものだと思った。しかし、切れてしまわぬ二人には、何か縁のような物があると思った。
 間の空白なんて無かったのように僕は口づけを交わした。この前の時は、まだ右手にギブスがされてぎこちない手つきで彼女に服を脱がしたのだが、今回はスムーズに脱がし、僕と彼女はベッドで一つになった。頭の中で、この空白は何だったのだろうという思いが渦巻いていた。

「やり直そう」
「駄目よ、出来ないわ」
「今度こそ上手くいくと思うんだ」
 彼女は言葉を選び決して同意しようとはしなかった。僕の中で不安が過ぎっていた。けれど、こうして彼女を抱いているという現実が、そんな不安を消し去ってしまっていた。僕は飽きる事無く、彼女を求め続けた。

 そして、二人だけの夜は終わった。僕は彼女を見送る為に、東京駅へと向かった。漠然とした不安があったのは事実だったけど、この手に再び抱いたと言う事実で、うち消そうとしていた。それは彼女が新幹線に乗る前に一緒に昼食を食べた時には口数は減らなかったものの、新幹線のホームへと向かう時には言葉は少なくなっていた。
 僕は頭の中で、何度も彼女を新幹線から引きずりおろそうと考えていた。彼女も本当は引きずり降ろされる事を望んでいるのでは無いか。彼女は僕と暮らしたいと考えているのでは無いか。そんな考えが頭を駆けめぐっていた。
 よっぽど怖い顔をしていたのだろう。そんな僕に彼女は何も言えずにいた。新幹線がホームに滑りこんで来ても僕は何も言えなかった。発車の時間を気にしながら彼女は新幹線へと乗り込んだ。後数分で発車というとき、僕は彼女の腕を掴みホームへと引き戻し、彼女へ口づけをした。彼女は声も出さずに泣いていた。発車のベルが鳴り響き、彼女は乗車口へと入っていった。閉まり始めたドアの向こうで彼女の目から涙があふれ出すのがはっきりと見えた。そして涙を拭くこともせずに彼女は手を振り続けた。 

 新幹線が、見えなくなった時、僕は体中の力が抜けるのを感じた。そして、何故、新幹線から彼女を引っぱり出し、自分と共に暮らす事を強く言わなかったのかと後悔していた。 
 二度ある事は三度有る。彼女がいくら他の男の事を言おうとも、僕らの間は決して終わらないという風にその時の僕は考えていた。


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